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萩の二大祭礼のひとつ萩時代祭り。金谷天満宮で草履舞が披露

萩ふるさと祭りと萩時代祭りが同時開催

山口県内ではこの時期各地で時代祭りが開催されています。

時代祭りとは、おもに江戸時代の装束に仮装しながら街を練り歩く興行のことです。

この時期山口各地で時代祭りがあります。

たとえばほぼ同じ時期に長府の時代祭りがありました。

しかし時代行列は各地でそれぞれの特徴があり楽しめます。

萩時代祭りでは、萩が長州藩の本拠地だったこともあり、毛利色の強い祭りになっています。

萩時代祭りは、ふるさと祭りと併用して行われ、山形有朋像のある萩中央公園で開催されました。

まず土日にわたって行われたふるさと祭りについて紹介したいと思います。

ふるさと祭りではふるさとの食べ物の銘品コンテストが行われていました。

自分は見蘭牛のお寿司とむつみ豚のソーセージをいただきました。

この見蘭牛(けんらんぎゅう)ですが、萩沖45キロ付近にある見島という離れ島で飼育されている見島牛と、オランダ原産ホルスタインを交配させ誕生させたものです。

見島牛は日本古来の純血種で、天然記念物にも指定されている貴重な牛です。

このため見島牛のお肉はとても高く、ほとんど一般の市場には出回りません。

その代わり、この交配牛の見蘭牛は比較的安価なため(それでも高価ですが)、地元のレストランなどで網焼きでいただくことができます。

良質の脂分のために溶けるような食感とほのかな食欲をそそる香りがあって、とてもおいしかったです。

むつみ豚は萩市のむつみとよばれる地域で、新鮮な空気と水の中で育った豚です。

豚の餌には、乾燥させたパン粉を含んだ自家製配合資料を食べているため豚特有の臭みがなく、脂に甘味が有り、肉にサシも多く入ります。

食感はプリっとして弾力があり、ほどよい良質の脂がのった見蘭牛と並ぶ萩のブランド食材です。

さてこの日は数年ぶりに岩国藩鉄砲隊による石田流古式砲術の実演が行われました。

この鉄砲隊は江戸時代の鉄砲(火縄銃)技術の伝承を目的として結成されました。

「石田流」とは、慶長年間(1596〜)に吉川広家公が出雲富田城主の際に、家臣の有坂長次を豊臣秀吉公の砲術師範であった石田玄斎の元に派遣して石田流を習わせたことに始まります。

「石田流砲術」は以後、連綿として有坂家に受継がれ、岩国藩の砲術として伝承されたのです。

そして岩国藩鉄砲隊保存会は地元の有志を中心に昭和62年に発足しました。

最近では歴女の女性隊員も加わっているそうです。

着ている武具も鋼鈑の入った本格的なものです。

日本の鎧は火縄銃が導入された時代を契機に皮製から鋼鈑を入れて銃弾にも対応できるように変化していきました。

普段は岩国にある吉川史料館昌明庭で訓練されているようで、そこで見学も可能です。

 

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その後、いよいよ時代行列が金谷神社を目指して行われます。

なぜ金谷神社かというと、もともとこの時代祭りは、金谷神社の「天神祭り」が起源だからです。

天神祭りに様々な団体が加わった祭りが萩時代祭りとなっています。

萩には住吉神社がありますが、この住吉神社の夏祭りである住吉祭りと並んで萩の二大祭礼となっています。

時代行列は歴代の萩藩当主がずらりと揃う豪勢なものです。

外国の方も歴代藩主になり切っておられました。

毛利輝元になぞられた市長の挨拶が終わるといよいよ出発です。

金谷天満宮で草履舞(ぞうりまい)が披露

金谷天満宮は鎌倉時代に長門守護職佐々木四郎高綱が大宰府から勧請されたものといわれ、享保5年に毛利吉元公が現在地に再興したものです。

金谷天満宮の前の道路は近くの萩駅へと続くかつての大通りで、八幡宮の場所には城下町へと続く道の表玄関ともいえる大木戸があったところです。

番所には番人がいて、日没時には城下への入場は禁じられていました。

行列が天満宮の本殿に到着すると、お姫様がおられる籠のふすまが開けられ、奴による草履舞が始まります。

草履舞とは奴(やっこ)が御駕籠に乗ったお姫様に草履を差し出すまでの演舞のことです。

子供、青年、成人による草履舞がそれぞれ行われます。

籠の前まで草履を持っていくのですが、近づいては離れ、離れては近づくおもしろい演舞です。

 

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フィナーレともいえる金谷神社の境内での草履舞が終わると、萩時代祭りは終了します。

ただこれで終わりではなく、今度は金谷神社の地元での祭りが始まります。

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