周南岩国

光市の沈下橋「旭橋」で火祭り『周防柱松』。松明を下から投げ入れる奇祭

山口各地で見られる沈下橋

沈下橋(ちんかばし)というと高知県は四万十川の沈下橋が有名ですが、山口県でも各地で沈下橋をみることができます。

光市の立野西庄(たてのにしじょう)の島田川にかかる旭橋は県内でも有数の規模の沈下橋です。

場所は正直わかりにくいところですが、近くには「周防の森ロッジ」や長徳寺などがあります。

山陽道熊毛ICをおりて、島田川にそって徳山光線と呼ばれる8号線を5分ほど南下していくと見えてきます。

この島田川付近は2年前の豪雨災害で被災し、柱松自体も中止されて、今回は2年ぶりの御祭りになりました。

沈下橋自体は補修した跡もなく、まさに豪雨災害を乗り切ったわけで、沈下橋自体の有効性が証明されたといえるでしょう。

四万十川の沈下橋は川底がそれなりに深く、子供が飛び込んでも楽しめますが、ここの川は普段は底が浅いので飛び込んで遊ぶということはできません。

島田川にはこの旭橋以外にももう一本、小野橋という沈下橋があります。

沈下橋ファンの方は是非訪れてほしいと思います。

江戸時代から続く火祭り「周防柱松」

柱松(はしらまつ)とは長大な柱を立てて、その先端に松明受けを設置し、下から火のついた松明を投げ入れることで点火させる火祭りのことです。

五穀豊穣や疫病退散を願い、江戸時代に始まった祭りだといわれています。

周防柱松では、島田川沿いの沈下橋である旭橋付近の河川敷に柱を立てています。

今回2年ぶりですが、8月3日に柱松が復活したので取材に行ってきました。

写真をみていただくとわかりますが、かなり高さ(約20m)のある柱が数本立っています。

先端の松明受けには七夕笹のようなものがささっています。

松明受けは孟宗竹で造られた漏斗(ろうと)になっています。

この漏斗の中には萩の葉やお守り、花火を入れた籠が入っています。

萩の葉が使われる理由は、萩が古来から日本人にとって象徴性の高い植物だったからだと思われます。

萩は万葉集で一番多く歌われた植物でありますし、萩の開花時期は稲・粟・稗などの収穫期に重なります。

このため萩は豊穣のシンボルになっているのです。

花火と葉っぱがはいっているので一回点火すれば、あとは自動的に勢いよく燃え上がります。

この松明受けをめがけて、縄のついた松明を腕で回しながら勢いをつけて投げ込むのです。

このためスローシャッターで写真を撮ると、炎が円形になって映りますし、投げた松明の軌道も線となって映ってとても幻想的です。

カメラマンの人もシャッターチャンスを求めてたくさん来られていましたね。

さて祭りが始まると、最初は一人一回ずつ、順々に松明を投げ入れていきます。

なので命中率は概して低いのですが、それでも何回に一回は命中して点火していきます。

一度点火されると、その柱への投火は終了して、次の柱に向かいます。

途中からはみんなで競い合うように松明を投げていきます。

そうやってすべての柱に点火されると花火が上がり、祭りはフィナーレを迎えるのです。

それでは柱松の祭儀としての意味合いはどういったものなのでしょうか。

まず柱を立てることで神様を迎える準備をしていることになります。

そして点火させることで神の意思を確認し、恩恵に感謝し祈願する。

最終的に柱が倒れることで神様を送るという意味があります。

柱松の民俗学的研究は柳田國男の「柱松考」が嚆矢となって始まりましたが、後続の研究は少なく十分なものとは言えません。

ここでは小畑紘一氏の研究論文の内容の一部を紹介しながら説明したいと思います。

松明を下から投げ入れる柱松という形態の火祭りは実は全国17府県で見られます。

しかし地域的な偏りはあります。

岩手、山形で各一事例を除いて信州地域のほかは静岡以西の西日本に分布しており、長野県の「戸隠柱松神事」や大分県の「ななせの火群まつり」などが有名です。

山口ではこの光市での柱松のほかに、お隣の岩国市で同じく島田川沿岸の周東町祖生(そお)でも見られます。

この「周防祖生の柱松」は牛馬安全の祈願を由来とし、祖生の中村・落合・山田の三地区で時期(お盆の時期)を変えて行われます。

平成元年には国の重要無形民俗文化財に指定されています。

祖生の柱松では松明受けの中にははぎのこやかんなくずが入っています。

祖生では3か所で行われるために、一回の規模では周防柱松のほうが大きいと思われます。

今年は残念ながら台風の影響で中止となったようです。

小畑氏の論文に印象的な言葉がありましたので、ここで引用して終わりにしたいと思います。

柱の素となる材料は俗の存在であるが、 これが清めの儀礼などを経て神霊が憑依し
た霊力のある聖なる柱に変化すると人々は信じる。この結果柱は、天と地を結ぶ道とな
り、供養、祈願、感謝などと言った祭りの目的を天に届けることが出来る存在になった
と見做されるのである。柱は、祭り後燃やされ、或は倒 されて「俗」に戻る。

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