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コルトーを記念して建てられたコルトーホール
下関の奥座敷、川棚温泉は三代目の萩藩主毛利綱元が湯治のために頻繁に訪れた由緒ある温泉郷です。
江戸時代の川棚温泉は「湯谷(ゆや)温泉」とも呼ばれ、毛利家の殿様だけでなく長府藩主なども利用していました。
起源は今から800年前にさかのぼり、室町時代にある僧侶によって掘り当てられたといわれています。
また漂泊の俳人種田山頭火が晩年に100日間ほど川棚に滞在したことがあります。
山頭火は川棚の景色を大層気に入り、永住を希望しましたがその願いはかないませんでした。
花いばらここの土にならうよ
涌いてあふれる中にねてゐる ーー妙青寺にて
さて、そんな川棚を愛した偉人の一人にフランス人ピアニスト、アルフレッド・コルトーがいます。
コルトーはクラシックピアノ界の巨人の一人で、晩年の1952年に来日を果たし、日本各地で演奏会を開きました。
下関公演の際に宿泊した川棚で、厚島の景色に魅せられたコルトーはこの島を買い取りたいと市長にお願いしたぐらいでした。
厚島は豊浦町の響灘沖合2kmに浮かぶ無人島で、周囲わずか4kmの男島、すぐそばの女島、竜宮島、石島の4島からなる島々の総称です。

豊浦町のサイトからお借りしました
私の思いはひとりあの島に残るだろう。
コルトーの願いは山頭火と同じく果たせませんでしたが、コルトーの愛した厚島は別名孤留島(こるとう)とも呼ばれています。
コルトホールの設計者は今や日本を代表する建築家となった隈研吾(くまけんご)氏です。
建築に詳しくない方でも、来る東京オリンピックのために新国立競技場を設計した方といえばわかると思います。
隈研吾氏の建築の特徴としては、建築の外装=ファサードに素材をオープンに使ってむき出しにするというところがあります。
たとえば大宰府のスターバックスの店舗は典型的なものでしょう。
2000本の杉の木材を大胆に使っています。
掃除が大変そうだと思うのですが、どうなんでしょうか。
コルトーホールの外観も特徴的です。
ホールの外観は大小さまざまな三角形を組み合わせてできています。
隈研吾氏によれば有機的な構築物を表現したいということです。
一見グレーの色合いで全面的に画一化されているように感じるのですが、よく見ると各面わずかに異なった3色の色合いで塗色されており、一日の光の変化による陰影によって多面的な色合いを醸し出しています。
外壁は「豊浦標準砂」や「柱のない土塀の蔵」など、豊かな土の文化を誇る川棚の「土」や「砂」の雰囲気を精緻に再現しているそうです。
外壁も内部空間もそうですが、いわゆる建物を支えるための柱がなく、外装が一枚つながりのテントの布のようにかぶさったようになっています。
コルトーホールは建物だけでも訪れる価値がありますし、温泉街の中心部にありますので、ぜひ温泉に来られた方は見学してほしいと思います。
下関城郭サミットが川棚で開催。中世山城から近世城郭へ
さてそんな川棚温泉郷のコルトーホールにおいて、『下関城郭サミット 城郭巡りことはじめー中世山城から近世城郭ー』と題して、お城研究の第一人者である広島大学教授の三浦正幸先生を招待してシンポジウムが8月18日に開かれました。
その他、下関市教育委員会の中原周一氏が座長を務めます。
今回のシンポジウムは中世山城の説明から始まりました。
中国地方は山間部が多いことからも山城がたくさん存在していました。
三浦先生によれば、山城とは次のような防御施設になります。
地域間の紛争や地方支配の施設として、山頂部を中心として空間(曲輪)を確保した防衛施設。
特に14世紀の南北朝の争乱期に発達し、15世紀頃には山城と麓(ふもと)の館を備えた体制が整えられる。
戦国期になると徐々に都市部近くに城が築かれ、「城下町」が形成され、「石垣」など装飾性をもつ造りに変化する。
山城の構造は以下のようなものです。
《切岸》・・・曲輪(くるわ)の周りの斜面を人工的に急峻にして上りにくくする。
《堀切》・・・尾根線を遮断する構造。連続して堀切を設ける例もある。
《堅堀》・・・斜面縦方向の溝構造。斜面横方向の移動を制限する。
《横堀》・・・曲輪を外縁に沿ってめぐらされる溝構造。最終期に盛行。
《腰曲輪》・・・主要な平坦面の曲輪より一段低く取り付く空間。
《虎口》・・・曲輪に出入りするための施設。意図的に屈曲させる。
下関にはいくつかの山城が散在しています。
諏訪山城、青山城、勝山城、下大野城、城光寺城、金怡山城(きんたいやま)などです。
山城はほとんど土で造られており、築城とはほとんど土木工事でした。
これに対して信長の安土城から始まった近世城郭は石垣に見られるように石でできています。
近世城郭は天守や石垣を備え、礎石建物・瓦の使用などが建物としての特徴だといわれています。
また近世城郭のもう一つの特徴は、城郭内の階層構造だといわれています。
山城の時は、城主と家来の関係は横並びで、建物もそのように配置されていました。
しかし信長の安土城になると、信長は最上層の天守に住み、家来はその下の場所に建物を建てて住むようになり、城主と家来の上下関係がそのまま城郭の構造に反映されるようになったのです。
日本には城跡が3~4万ほどあるといわれていますが、そのほとんどは山城です。
江戸城や大坂城、姫路城などの近世城郭はその数%程度しかありません。
全国的に山城主流から近世城郭へと移行したのは関ヶ原の戦いといわれています。
関ヶ原後、天下の趨勢が徳川家に決まりかけると、諸大名は自国の領土に政治の執行拠点としての城を築き始めます。
このため関ヶ原を契機にの日本各地で近世城郭の築城ラッシュが始まり、これが日本全体の築城技術のレベルアップにつながったといいます。
また徳川政権が盤石になり、一国一城令が出されるとこのトレンドに拍車がかかり、大名は既存の山城を廃城して平地に政治の拠点である近世城郭を築くのです。
毛利の築城思想
それでは中国地方の覇者毛利氏の築城技術と思想はどのようなものだったのでしょうか。
まず築城の名人といえばどこの大名になると思いますか?
答えは甲信の雄である武田氏です。
武田というと「人は石垣」の言葉で有名で、築城にあまり熱心ではなかったと思われていますが真実は逆です。
武田の集大成といえるのが新府城でしたが、未完成のまま終わりました。
新府城は非常に大規模なお城で数万人規模で守るためのお城でした。
勝頼は長篠の戦を野戦で戦ったことで大敗北を喫しました。
武田が誇る最強騎馬軍団が壊滅したわけですから、信長との戦いで残る武器となるのは武田の築城技術だったのです。
武田の築城技術の高さは甲斐甲府の金山掘削技術と難度の高い治水事業に取り組んだことによって養われたものだと思います。
武田家家臣は武田氏滅亡後は徳川家が吸収しましたから、徳川は信長から近世城郭の思想を、武田氏からは堅固な築城技術を学び取ったのです。
それが最終的には駿府城や江戸城へと結実していったのです。
それでは主要な大名のなかで築城が下手だったのはどこでしょうか。
三浦先生によればそれは毛利氏だといいます。
毛利氏は山城をたくさん作りましたが、いずれも小規模でまたその技術も原始的なものだったといいます。
ただし毛利元就の居城だった吉田郡山城はさすがに別格でした。
毛利輝元は近世城郭である広島城に移った後も吉田郡山城を完全には廃城にはせず、詰めの城として残していたといいます。
この考え方は萩城にも引き継がれています。
毛利が関ヶ原で敗れ、防長二カ国に減封されると、萩城の建築にとりかかります。
毛利氏が萩城を築城する際に江戸城などを参考にしたといいますが、直接徳川家に築城技術を訪ねるということはしませんでした。
萩城は下腹に平城を、その後背にある指月山の上に山城を築いたのですが、この平城山城複合型ともいうべき築城思想はそのまま広島城と吉田郡山城の関係と同じです。
萩城のもう一つの特徴はなんといっても海岸線に面した城壁の長さです。
日本の城の中でも屈指の海岸線に面した城壁の長さを持ち、海城としての性格をいかんなく発揮しています。
瓦そば発祥のお店「たかせ」

たかせ本館
川棚温泉郷は温泉のほかにも食も名産があります。
山口県内で味わえる瓦そば、熱々に熱した瓦の上に茶そばを置いた山口独特のそばなのですが、その発祥がこの川棚にある「たかせ」です。

てりまかし写真ACからの写真
瓦そばを知らない人に説明すると、やきそばと普通のめんつゆを使って食べるそばの中間にあるような食べ物です。
瓦そば発祥の由来について、元祖たかせから引用してみます。
明治十年、西南の役において熊本城を囲む薩軍の兵士たちは、長い野戦の合間に瓦を用いて野草、肉などを焼いて食べたという古老の話にヒントを得て、弊店創立者 高瀬慎一が数十年を経過した日本瓦を用い、弊店独自の製法にて開発いたしました。
雅味豊かな茶そばに、牛肉、錦糸卵、海苔、もみじおろし、レモンなどを配し、これも又、弊店独自のつゆを添えて「瓦そば」と名付け供したるところ、大方の絶賛を得て広く各地よりご来店賜るところとなりました。
瓦をプレートとして使うというのは見た目の効果をまずは狙ったものですが、それだけではなく瓦の遠赤外線効果による保温効果により、いつまでも熱々で召し上がることができます。
実際、運ばれてきた熱々の瓦にさわると火傷してしまいますので、注意してくださいね。
これだけ熱々だとそばの風味が飛んでしまうように思われがちですが、そこで茶そばを使うことで熱に負けずに風味と香りを保つことができるのです。
瓦そばのめんつゆは一般的には甘目です。
かつおと昆布だしで仕上げていて、県内なら一般のスーパーでも売られています。
たかせは本館と東本館が二つ軒を連ねていますが、どちらにはいっても味付け自体は変わりません。
南本館店もありますので、お好きなところでお召し上がりください。

たかせ東本館
たかせでは瓦そばのほかにひつまぶしもおすすめです。
また温泉まんじゅうの川棚まんじゅうで有名な三春堂もすぐちかくにあります。
いずれのお店もコルトーホールから徒歩ですぐのところですので、足を延ばして楽しんでほしいと思います。