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粭島(すくもじま)にある貴布祢神社
粭島と書いて”すくもじま”と読みます。
この”粭”はこの地名のためだけに使われている漢字で、一時期は幽霊文字として扱われるほどでした。
今回紹介する御祭り「貴船神社夏祭り」は周南市の南部にある粭島の貴船神社で行われる祭りです。
粭島は瀬戸内海に浮かぶ下松は笠戸島と、徳山は黒髪島の間にある櫛ケ浜駅から南下した大字大島の南の先にある小さな橋(小瀬戸橋)でつながれた島です。
この辺一帯は以前記事(下松に日立製作所がある理由)にしたように、瀬戸内海工場地帯となっており、粭島へと渡る道中もその工場群を横目で見ながら走ることになります。
対岸からは徳山湾がみれますが、出光の石油コンビナートも見えます。

右下の山のふもとにみえる白い部分が出光の石油タンク群
旧海軍燃料廠(現出光興産徳山製油所)があったため、湾内にはかつては旧帝国海軍の軍艦が停泊していました。
戦艦大和が沖縄出撃の際に給油のために一時停泊したこともあったようです。

日本精蝋社徳山工場
山の上に特徴的で古風な大煙突が見えてきました。
もはや稼働していないと思われる煙突なのですが、これは日本精蝋社(注:ろうの会社)の煙突です。
青い海と空と工場群のコントラストは印象的なので、ドライブもいいですし、サイクリングもしてみたい場所です。
そうしてしばらく海を横目に半島沿いを走っていると、目指す貴船神社の手前にある漁港の駐車場にたどりつきます。
ここは貴船神社から500mほど離れた場所に設置された御旅所と呼ばれるところです。
神輿はこの貴船神社と御旅所の間をつなぐ沿岸に沿ったルートをたどって海を渡ります。
大漁旗が万国旗のように飾られていて壮観な眺めです。
この漁港は最高級の瀬戸内海のトラフグ漁で知られています。
ここの漁師さんたちが明治時代にふぐの延縄漁を考案しました。
ふぐを傷つけることなくとれる延縄漁は全国に普及、浸透していったそうです。
また粭島は北海道沖の遠洋漁業を切り開いた石丸好助の出身地でもあります。
御旅所からしばらく歩くと目指す貴船神社につきます。
粭島の貴船神社は正確には「貴布祢神社」と書きます。
貴布祢神社の由緒は次の通りです。
貴布祢神社は、由緒沿革については明らかではありませんが、
十八世紀の初め頃、祭神に高龗神(たかおかみ)、闇龗神(くらおかみ)の二柱を祀ったものと伝えられています。
また、西国の諸大名が瀬戸内海の航行の際、風待ちをしている間、
粭島に散在する鎮堂(ちんどう)を集めて社を建て、海上安全を祈願したことに由来するとも伝えられています。
このように貴布祢神社については由緒が明らかになるのは18世紀初頭と、比較的新しく感じられると思います。
海上安全の祈願を行う社というと、普通は住吉や金毘羅や厳島神社を思い浮かべます。
海上安全の社としては貴船神社は比較的珍しいのです。
この疑問について同じく周南市にある遠石(といし)八幡宮の宮司さんのブログが面白い考察をされています。
要するに粭島の貴布祢神社は、平家の落人たちが京都の貴船神社を偲んで建立したのではないかということです。
宮司さんがそう推測する理由が二つあります。
一つは社紋が赤い扇であることです。
平氏の旗は源氏が白旗に対して赤旗でした。
また扇といえば源平合戦の屋島の戦いで、赤扇に金の日の丸をかたどったものを平家は船頭に飾り、撃ち落としてみよと呼びかけたのです。
そしてもう一つの根拠が、落人伝説のある地域では同じ姓の家が多いという特徴です。
粭島では、御三家と呼ばれる「石丸」「末田」「高松」という姓が多く、祭りでもこの御三家の本家筋の家が、順番で神輿の先導役である「御幣持ち」を務めるという決まりがあります。
屋島の戦いで敗北した平氏は四国を失い、瀬戸内海の制海権を失って、いよいよ長門へと追いやられます。
長門へと向かう途上で、安徳天皇を粭島に残して密かに匿ったということも、もしかしたらあるかもしれません。
御旅所付近には龍宮社があります。
神輿は貴船神社を出発してこの龍宮社を目指して海を渡るのです。
龍宮といえば竜宮城を模して造られた赤間神宮(ただしそれは戦後の再建時)が思い浮かびますが、壇ノ浦の戦いで敗れた安徳天皇は海の下の都=竜宮城を夢想して入水したわけです。
貴船神社から神輿が海の中を担がれて安徳天皇のいる竜宮城=龍宮社を目指すと考えれば、この祭りの本質は安徳天皇の霊を慰めることにあるのかもしれません。
18世紀以前にさかのぼれないという由緒がある意味隠れ平氏の存在を予感させますが、仮に平家の落人と関係がなくても、瀬戸内海は平氏の庭だったわけで、何らかの形で平氏とつながっていてもおかしくはありません。
安徳天皇は久留米市の水天宮で水の神様として祀られています。
水の神様として貴船をもってきたのかもしれません。
そう空想してしまうほどロマンを掻き立てる港と御祭りです。
安徳天皇を祀った赤間神宮についてはこちらの「耳なし芳一まつり」の記事も参考にしてください。
”海を渡る神輿”で有名な貴船神社夏祭り
さてそんな貴布祢神社ですが、なんといってもこの神社を有名にしているのが神輿が海を渡る夏祭りです。
この祭りは起源は明らかではありませんが、明治元年ごろに始まったと伝えられています。
今回は7月28日になりましたが、潮の満ち引きによって開催日時が毎年変動します。
ただ貴船祭が行われるこの時期は、例年まず雨が降らないそうです。
実際この日も好天に恵まれて、絶好の祭り日和になりました。
海を渡るという性格上、晴れていることが何よりも大切です。
御祭りが始まると、まず子供たちが担ぐ子供神輿のために神社でお祓いを受けます。
その後、一旦海で体を海水に浸したあと、いよいよ神輿を持って海に入っていきます。
大人たちとはちがって、港の近辺を少しだけ周って戻ってきます。
その次に若者たちが冠者(かんじゃ)を乗せた神輿を担ぎます。
多くの若者たちがこの時期、この御祭りに参加するために全国から帰省してきます。
湾内を広く一周すると戻ってきます。
それが終わると、いよいよ本番の御旅所までの500mの海上を神輿を担いで渡ることになります。
堤防路に沿って観客とカメラマンたちが神輿を待ち受けていて、一緒に移動していきます。
神輿の先頭に烏帽子をかぶった「御幣持ち」が背面泳ぎをしていますね。
子供たちも神輿の後ろを浮き輪をつけながら泳いでいきます。
500mの行程を約1時間弱かけて担ぎ終わると、御旅所のほうへと上がっていきフィナーレを迎えます。
皆さんお疲れさまでした。
港の定食屋さん「ホーランエー食堂」
祭りが始まる前に、少し昼食をとろうと、神社近くにあるホーランエー食堂に入りました。
ここではせいろそばのほかに、ピザやタコ飯なども召し上がれます。
店内はなかなか風情があって、祭りの参加者たちが腹ごしらえをしていました。
自分はせっかくなのでそばを注文しました。
手打ちの本格的なそばでおいしかったです。
将来的にはこの港にゲストハウスができるそうで、そうなれば泊まりで祭り見学もできそうですね。
御祭りがない時でも風光明媚な漁港なので、定食屋さんもありますし、ぜひ足を延ばしてほしいと思います。